ヨチヨチ歩きの孫に帽子をかぶせ
一筋の雲を浮かべた青空へ散歩に出る
孫は帽子をポイと投げ捨てる
そのたびに拾い上げるのだが
しゃれた帽子には
刺繍で孫の名前が記されている
あの日とつながっている青空
妹も帽子がきらいだった
だぶだぶのもんぺをはいたおかっぱ頭
防空ずきんがやさしく首にむすばれていた
ときどきその擦りきれた紐を外すと
エイとばかり空に放り投げていた
ずきんには母の筆でセツ子と確かに記名され
母がいて 姉がいて 兄がいて
妹のまあるい顔は夕焼け色に染まるまで
記名した文字と家族にしっかり守られていた
昭和二十年の夏 理由はわからぬが
妹は伯母と長崎市へ行くことになった
セツ子と書いた防空ずきんをしっかりかぶり
家族にはまあるい顔でバイバイと手をふって
それからたくさんの白い夏を迎えたが
セツ子の帽子が空に舞うことはなく
白い風が光と影をつくり
無人駅を黙って通り過ぎるだけだった
夏の日のゆるくなったみかん色のステージ
帽子を頭にのせ 妹の影を曳きながら
空に続く坂道を二人でゆっくり上ってゆく