第二十回 伊東静雄賞 受賞作品

奨励賞

白い夏の散歩

瀬 圭二郎

ヨチヨチ歩きの孫に帽子をかぶせ
一筋の雲を浮かべた青空へ散歩に出る
孫は帽子をポイと投げ捨てる
そのたびに拾い上げるのだが
しゃれた帽子には
刺繍で孫の名前が記されている

あの日とつながっている青空
妹も帽子がきらいだった
だぶだぶのもんぺをはいたおかっぱ頭
防空ずきんがやさしく首にむすばれていた
ときどきその擦りきれた紐を外すと
エイとばかり空に放り投げていた

ずきんには母の筆でセツ子と確かに記名され
母がいて 姉がいて 兄がいて
妹のまあるい顔は夕焼け色に染まるまで
記名した文字と家族にしっかり守られていた

昭和二十年の夏 理由はわからぬが
妹は伯母と長崎市へ行くことになった
セツ子と書いた防空ずきんをしっかりかぶり
家族にはまあるい顔でバイバイと手をふって

それからたくさんの白い夏を迎えたが
セツ子の帽子が空に舞うことはなく
白い風が光と影をつくり
無人駅を黙って通り過ぎるだけだった

夏の日のゆるくなったみかん色のステージ
帽子を頭にのせ 妹の影を曳きながら
空に続く坂道を二人でゆっくり上ってゆく


第二十回 伊東静雄賞 受賞作品

奨励賞

しんしんと山桃の実は落ち


池谷 敦子

音もなく散り敷くのである
舗道に なかば踏み潰された赤紫の小粒たち
始発駅の広場に面した壁に寄りかかって
しゃがむ男らの死んだ目にとまることもない

うたいだすのである
草を濡らす夜半の雨のように
はるかなものの訪れのように
山桃の実の小暗い茂みの中の子が
うたいだすのである

蝉しぐれに埋もれた母の在所の
日に一往復だけのバス停前に
一軒だけのよろずやがあった
そのわきの大きな山桃の木は
白い道にくっきりと影を落していた
マタアシタ マタアシタ
夕暮れのバスが行き こどもらが散り

村の歴史は埋められた それでも
ダムに沈んだ山桃は
しんしんと実を降らせ
実を降らせ
風の中を遠く来て

甘く酸くほろ苦く うたい続ける




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受賞者 瀬 圭二郎氏            受賞者 池谷 敦子氏